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前橋地方裁判所 昭和49年(行ウ)1号 判決

原告 糸井久二ヱ

被告 高崎労働基準監督署長

訴訟代理人 山口智啓 中島暎雄 ほか二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一  本件請求原因事実のうち、訴外糸井が昭和四六年六月一日当時訴外糸井商事に雇用され、業務執行権を有する代表取締役等の指揮監督を受けて労働に従事し、その対価として賃金を得ていたこと。訴外糸井は、昭和四六年六月一日、榛麓会の月例会に出席する途中、交通事故にあい、同月七日、右事故による傷害の結果死亡するに至つたこと。原告は訴外糸井の配偶者であつて、訴外糸井の死亡当時、その収入によつて生計を維持していた者であり、また訴外糸井の葬祭を行つた者であること。被告は、昭和四六年九月二二日、原告に対し、労働者災害補償保険法所定の遺族補償年金及び葬祭料の各支給をしない旨の処分をしたこと。原告は右決定を不服として、昭和四六年一〇月一四日、労働者災害補償保険審査官金子勘三郎に対し審査請求をしたところ、昭和四七年五月三一日付で審査請求棄却の裁決を受け、さらに同年七月二九日、労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、昭和四九年三月三〇日、再審査請求棄却の裁決を受けたこと。以上各事実については、当事者間に争いがない。

二  そこで、以下、訴外糸井の死亡が、労働者災害補償保険法第一条にいうところの「業務上の事由による死亡」であるかどうかについて判断する。

ところで、右「業務上の事由による死亡」とは、労働者が、労働契約の本旨に従つて行動する際に、右行動が原因となつて事故が発生し、さらに右事故が原因となつて生じた死亡をいうものと解すべきであるから、訴外糸井の死亡が「業務上の事由による死亡」であるかどうかの判断に当つては、訴外糸井が原告主張に係る榛麓会に出席することをもつて、労働契約の本旨に従つて行動するものであるといえるか否か(すなわち、いわゆる業務追行中といえるか否か。)について判断する必要があり、そうなれば、さらに榛麓会の性質がどのようなものであるかを、まず検討しなければならない。

よつて検討するに、〈証拠省略〉を総合すれば、榛麓会は、訴外大同製鋼渋川工場に勤務する係長以上の有志及び群馬県内に事業所を持つ右工場の協力会社の有志をもつて組織され、会員相互の親睦、融和、さらにコミユニケーシヨンをはかり、相互に情報交換を行うことを目的とし、右の目的達成のため、会員相互のレクリエーシヨンその他に関する行事を行う会として、昭和三〇年頃、結成され、以後、例会を設けて、ゴルフ・コンペを行つて来たが、右会の設立にあたつては、訴外大同製鋼(但し、当時は関東製鋼と称した。)渋川工場から、取引会社に対して、設立の話があり、そのようなものを作るのなら、まあいいではないかという程度の軽い話し合いで設立がなされ、特に厳格綿密な話し合いと手続によつて設立されたものではなかつた事実が認められ、また当時の設立発起人の糸井久夫自身右会の設立目的を必ずしも明確に意識していないことがうかがわれる。

また〈証拠省略〉によれば、榛麓会の招集について、特に取引あるいは営業についての議題を掲げるようなことはないうえ、出席が強制されることもなく、また例会の進行については、ゴルフ・コンペの前に幹事がプレーについてのルールを説明し、コンペの後は、前記渋川工場長の挨拶があり、ついで表彰の後、簡単なパーテイが行われるが、特に取引あるいは営業について会議を行うこともなく散会するのが通例となつている事実が認められ、また、訴外大同製鋼と訴外糸井商事の取引のうち契約締結は、訴外大同製鋼東京支店で行われ、渋川工場では納品のみが行われているので、特に右工場との間で、取引についての会議をもつ必要がない等の事情が、うかがわれる。

そこで、以上の認定事実を総合すると榛麓会の性格は、あくまでも親睦団体の域を出ないものと判断でき、従つて、榛麓会が、訴外大同製鋼渋川工場と訴外糸井商事との間で取引について検討することを課題とした会議であるとする原告の主張は採用できない。

もつとも、榛麓会の例会を開催することにより、人事異動の報告や、営業方針、生産方針の変化等について出席した会員の間で互に情報を交換する機会をもつこととなり、ひいては、それによつて取引の円滑をはかることができる利点のあることは否定できないけれども、右利点は、例会開催の付随的利益にすぎず、それが榛麓会の本来の目的ではない以上、右会の性格は、親睦団体の域を出ないものとの先の判断をくつがえすことができず、仮にそうでないとすると、単なる接待のためにする宴会の類のものも、広く、業務の追行と解されることになり、そうなると、その出席途上での死傷も業務上のものであるとして、労働者災害補償保険法の規定によつて補償を求めることができることとなろうが、このようなことは、社会通念上許されるところではない。

もちろん、親睦目的の会合ではあつても、右会への出席が業務の追行と認められる場合もあることを否定できないが、しかし、そのためには、右出席が、単に事業主の通常の命令によつてなされ、あるいは出席費用が、事業主より、出張旅費として支払われる等の事情があるのみではたりず、右出席が、事業運営上緊要なものと認められ、かつ事業主の積極的特命によつてなされたと認められるものでなければならないと解すべきところ、〈証拠省略〉によれば、榛麓会への出席が、同人の命令によつてなされ、あるいは出席費用が出張旅費あるいは交際費として支払われたことは認められるけれども、他方訴外糸井商事の代表取締役である糸井久夫自身、榛麓会の例会の年間開催回数をはつきり覚えていないこと、また榛麓会の設立目的も明確に意識していないことがうかがわれるのであるから、右会の例会への出席が訴外糸井商事の事業の運営に緊要であり、かつ、それへの出席が代表取締役である糸井久夫の積極的特命によつて行われたとまでは、とうてい認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると榛麓会への出席をもつて、労働契約の本旨に従つて行動するもの(すなわち、いわゆる業務の追行)であるとすることはできず、そうなれば、訴外糸井の死亡をもつて、労働者災害補償保険法第一条にいうところの「業務上の事由による死亡」であると判断することはできない。

三  以上の次第であるから、原告の本件請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳沢千昭 園部逸夫 村上久一)

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